rose liebe lilie 04 -狂い咲き-


人間の醜悪な部分のみを抜き出したような、ひどく陰鬱な映像がある。
それを見た者は5分もすれば気を違え、10分もすれば壊れてしまう。
最後まで見通せたのならば、それは恐らく、元から壊れていたのだろう。
地獄よりも地獄らしいその光景は、想像すら難しい。
誰が何のために作成し、何のために現存しているのか、霊界人や情報通の妖怪ですら知り得ない。
それが、"黒の章"だ。
それを管理している情報部の者ですら、見ることは許されていない。
存在すら知らない者も少なくないだろう。
侑里は冷や汗が滲むのを感じた。
「黒の章…?そんな、あれが流出なんてしたら」
「人間界は大混乱、妖怪共は暴動を起こすだろうな」
侑里はごくりと生唾を呑んだ。
大混乱、で言い表せようはずもない。
あの映像が人間界で流れようものなら、そこは瞬く間に「人間」の住む世ではなくなってしまうだろう。
---だってあれは、見たら気を違える映像、なんかじゃない。気を違えさせる映像、なんだから。
侑里はすっと息を吸い、ゆっくりと長く吐いた。
気を落ち着けて、ぐっと拳を握る。
「犯人の目星はついているんですか?」
コエンマは首を横に振り、続けた。
「防犯カメラは動いてはいるが、映像は全てなくなっていた。目撃者もいない」
「バックアップは」
「システムそのものが壊されていた。今管理課の者が修復にあたっているが、データの復元までは望めん」
侑里はああ、と先ほどの喧噪を思い返した。
管理システムが全壊---コエンマの話しぶりからするに、全壊に近いのだろう。
そんな状態だとすれば、先ほどの異様な混乱と喧噪にも合点がいくのだ。
膨大な量のデータを扱う霊界において、システムは仕事の円滑化という点で、何よりも重要だ。
それが損壊すれば、それに頼っていた部分のしわ寄せが、必ずどこかに来る。
それが各部署の責任者と、その更に上に立つコエンマに回ってきたのだろう。
霊界の弱みが出た、と、侑里は唇を噛んだ。
さて、困ったことになった。
手がかりが何一つないというのは、なんとも不便なものだ。
霊界探偵でもいれば、とは思うものの、いたとしても、一手に委ねることなど出来ないだろう。
まして"黒の章"の捜索を"霊界探偵"に頼むなど、閻魔大王が許すはずもない。
侑里ははぁ、とため息を一つつき、すっくと立ち上がった。
「とにかく、黒の章を探し出せばいいんですね。とりあえず霊場を調べてみます」
「うむ、頼んだぞ。オヤジが出張から帰るまでに、報告書を書けるくらいにはしておかねばならん」
閻魔大王が戻るのは一週間後だ。
それまでに、何かしらの情報を手に入れなければならない。
こくんと頷き踵を返した侑里に、ああ、それと、とコエンマが声をかける。
「侑里、すまんが帰ったら何人か式神を寄越してくれんか」
「え?いいですけど…どうして?」
「目撃者がいない、と言ったろう。その時に大資料館の警備にあたっていた者がな、三分の一ほど、消えてしまったんじゃ」
侑里は目眩を覚えながら、わかりました、とだけ答えた。






侑里はどさりとソファに体を投げ出し、ふー、と長く息を吐いた。
「なんでこう、面倒なことが重なるかなぁ」
「こういう星の下に生まれているのよ、諦めなさいな」
サクラはふわりと舞い、侑里の前にばさばさと紙束を置いた。
台形を二つ合わせたような形をしたその紙は、中心に半円の切り込みが入っている。
ちょうど二つに折ると、頭のように飛び出るような形になるのだ。
侑里は気怠げに一枚を手に取り、ぴたりと中心で二つに折った。
さながら簡素な人形のようだ。
「何体いればいいかな」
「霊力が続く限り?」
「やだ。いつまで経っても終わらないじゃない」
侑里は目を閉じ、すぅ、と息を吸い、人形のようになった紙を唇に押し当てた。
ふぅ、と、息と共に霊気を吐き出す。
紙を通った霊気は、細く、長く、無数の糸のように宙を漂い、やがてするすると一所に集約される。
まるで糸巻きに巻かれる糸のように纏まってゆき、人の形になってゆく。
侑里が唇から紙を離して再び目を開く頃には、霊気はすっかり等身大の人型となっていた。
「霊体だけでいいってのは、楽ね」
侑里は軽く笑むと、先ほどの紙は放り、また次の紙へと手を伸ばした。


侑里が情報収集に長けているのは、霊界人や他の人間には真似できない、この芸当が一因だ。
清めた紙を人の形に模し形代として、それに自らの霊気を吹き込むことで、自由に動く実体を与える。
それは自らの意志を持つことはなく、侑里の命令に忠実な使い魔のようなものだ。
侑里はこれを式神と呼び、自らの手足のごとく使役する。
常に複数の式神を作りだし、使役することで、一時に複数の場所で、あるいは複数の事柄を調査出来る。
侑里の最大の強みである早さと正確さは、この能力によるものなのだ。

だからこそ、侑里の存在を快く思わない者も少なからずいる。
自分にも同じようなことが出来れば、と。
次々に式神を作り出す侑里を見て、でも、とサクラは思う。
侑里が評価される本当の理由は、式神を駆使した素早い情報収集などではない。
一時に多くの情報を得るということは、それだけ多くの不要な情報を得るということだ。
侑里は膨大な量の情報から、ほんの少しの必要な情報を抜き出し、繋げて、新たな一つの"情報"を作り上げる。
それがどんなに難しいことであるか想像もできない者は、所詮は"誰か"を羨望と嫉妬の目で見ることしか出来ないだろう。
サクラは中々に立派に成長した主人の姿に、扇で隠した口元を歪めた。


十五体目の式神を作ると、侑里ははぁ、とため息をついた。
全身を軽い倦怠感が包んでいる。
このくらいいればいいかな、と胸の内で呟き、ソファに座り直す。 ゆっくりと目を瞑り、再びゆっくりと開いた。
自らの霊気を整え、精神をぴたりと集中させる。
「主、侑里が命令する。お前達は霊界へ向かいなさい。その先ではコエンマの命に従うこと」
眼前に控える式神達を見据えて放つ言葉は、圧倒的な圧力を伴って空気を震わせ、式神達を頷かせる。
先ほどの気怠げな様子は今は消え、侑里はこの空間において、絶対主として存在している。
式神達がすぅ、と昇り始め、その姿が見えなくなるまで、侑里は気を張り、王座に座すが如くソファに座っていた。
そして式神達の気配が完全に消えると、はあぁ、と長く息をつきだらしなくソファに身を沈める。
「一度にこの数は、さすがにちょっと疲れるかも」
「そうね、気が乱れているわ。少し休んで安定させた方がいいわね。やることはまだまだ沢山あるのだから」
「うー…」
侑里はごろんと体を横たえ、天井を仰ぎ見た。
白い天井は、すっかり日の落ちた窓から差し込む街灯の光を受けて、暗いオレンジに色づいている。
---明日は幻海さんの所へ行こう
ぼんやりと考えながら、ゆっくりと落ちる目蓋に抗うこともせず、侑里は意識を沈めていった。