rose liebe lilie 05 -狂い咲き-


古めかしい門戸をばたんと閉め、ここに来た時よりも幾分軽くなった肩に、ショルダーバッグをかけ直す。
革ジャンのポケットから煙草を取り出して、一本に火をつけた。
ゆっくりと味わうように、煙を肺へと流し込み、ふー、と細く吐き出した。
静流は、その紫煙が、澄んだ青空にゆらゆらと吸い込まれてゆくのをぼんやりと眺めていた。




最寄りの駅からバスで約二時間、海にほど近いその停留所は、滅多に人の降りることのない終点だ。
そこからさらに道沿いに、ゆったりとした坂を上ってゆくと、やがて木々の間に石段が見えてくる。
長い石段を見上げれば、まるで天にでも繋がっているようだ。
ゆっくりとしたペースでそれを上っていた侑里は、その先に漂う紫煙を認めると、上り慣れた高い段差を駆け上がった。



「あ、やっぱり静流さんだ」
とっとっ、という軽い足音と声に振り向くと、愛くるしい笑顔で駆け上がってくる侑里の姿が見えた。
静流はくわえ煙草をそのままに、懐かしさにふっと笑んだ。
「久しぶり、侑里ちゃん」
程なくして静流の元へと着いた侑里に言うと、侑里は少し上がった呼吸を整えながら、お久しぶりです、と微笑んだ。
その笑顔に、しばらく見ないうちに随分と綺麗になったものだ、と静流は思う。自らの弟と確か同い年であったろうこの少女に会うのは、かれこれ一年ぶりだろうか。
「珍しいですね。何かあったんですか?」
「ん、まぁね。最近、ちょっと夢見が悪くてさ」
ふぅん、と首を傾げる侑里が、それ以上追求することはないと静流は知っている。
侑里と初めて会ったのは、まだ小学生の、それも低学年の頃だったか。
家系故か、並外れた霊感を持って生まれた静流は、幼い頃から様々な心霊現象に遭遇し、危険な目にも何度か遭っていた。
中でも最も静流を、そして彼女よりもいくらか場数を踏んでいる両親を悩ませたのは、クラスメイトの無邪気な好奇心だった。
年端もいかぬ子供たちが一度は興味を示すであろう「こっくりさん」は、静流のクラスでも一時隆盛を見せた。
子供の無邪気な好奇心から始まったその遊びは、やがて低級霊を呼び出すに至り、奇しくも静流に憑依した。
これにはさすがに両親も手の施しようもなく、幻海の元へ助けを求めに来たのだ。
静流が侑里と出会ったのはその時、厳密に言えば、除霊され、静流が意識を取り戻した時である。
いくら両親も同じように霊を見るといっても、一歩外に出てしまえば周囲には霊など見えない、存在すら信じない人間ばかりだ。
明らかに自分が異質なものであると認識し、それなりに不安も感じていた。
それが侑里に、初めて家族以外の「見える」人間に会ったことで、驚きと共にひどく安堵したことを静流はよく覚えている。
初めて自分と「同質」のものに出会えた喜びと安心感は、形容のしようもない。
たとえ今はもう、それが「同質」などではなかったのだとわかっていても、その時の感情は忘れ得ようもないのである。

静流はまた、ふー、と紫煙を細く吐き出した。
「侑里ちゃんは?まだ修行してんの?」
「ん…ええ、まぁ。でも、そろそろ水が冷たくなるからちょっと嫌だなぁ」
冗談めかして笑う侑里に苦笑で返す。
侑里のしている「修行」がどんなものであるか、静流は知らない。
あまり無理しないで、とでも言えれば楽だが、それこそが無理なのだろう、となんとなく察していた。
そして、互いに踏み入りすぎないこの関係が好きでもあった。
「じゃ、あたしそろそろ行くね。バス逃すとキツイし」
「あ、そうですね。それじゃ、また」
「またね」
ひらひらと手を振り、侑里は石段を上り、静流は下っていった。
振り返りもしない程度の距離感が心地良いのは、侑里の柔らかな雰囲気故だろうか、と静流はゆっくりと煙草を吸いながら考えていた。



こんにちは、と言い掛けながら古びた門戸を開けても、誰も何も反応しない。
お邪魔しまーす、と家屋の廊下をぺたぺたと歩いても同じことだ。
ひとつの部屋の障子をがらりと開ければ、ずずっと番茶を啜っていた幻海はやっとこちらを振り向いた。
「なんだい、今日は客の多い日だね」
「いつも少ないんだからいいじゃない」
侑里はくすくすと笑いながら、幻海の向かいにすとんと座った。
「で?今日はどんな面倒事を持ってきたんだい?」
「うわぁ、ひどい言い様」
「事実だろ」
番茶を啜りながら言う幻海は、どこか楽しそうでもある。

幻海は侑里にとって最も身近な人間であり、人間界での保護者代わりであり、師匠でもある。
両親をなくしてから間もなく、侑里はあやめに手を引かれ、この道場の門をくぐった。
それからというもの、侑里は度々幻海の元を訪れては、修行と称して自身の身に余る霊力の扱いについて手解きを受けてきたのだ。
霊力でもって身を守る方法は、すべて幻海から教わった。
また、幻海の有する土地は元来霊場でもあり、彼女自身の力も相まって、霊力回復には非常に適した場所となっている。
侑里が自身の力の扱いに慣れてからは、修行よりもむしろ、霊力回復の為に訪れることが多かった。
そして、その時に霊界がらみの面倒事を持ってくることが多いということは言うまでもない。
侑里は苦笑して、傍らに置いてあった一口おかきを口に放った。
「面倒っていうか、まだなんとも言えない状態、かな。しばらくは調査と、霊界の人員不足を補わないと」
「そうかい。泉は勝手にお使い」
「ありがとう、そのつもり。」
侑里は指先に付いた塩をぺろりと舐めて悪戯っ子のように笑い、幻海はまた番茶を啜った。